THE CONOE 代官山 THE CONOE Daikanyama

代官山のまちに貢献する – ヒルサイドテラスを継承した空間づくり
私たちは機会を得て代官山に少し離れているが2つの集合住宅を建築することができました。槙文彦の低層・低密の時代と違い高層・高密なものを入れなければならない状況でありましたが、槙文彦が考慮した代官山のあり方や思想を踏まえて出来るだけのことをしました。Brillia代官山プレステージでは代官山アドレスのようにタワーにして土地の記憶を消してしまう手法ではなく、段々状の庭を持つヒューマンスケールのものを提案しました。このアパのTHE CONOE〈代官山〉は角のサイトにはヒルサイドの持っているギャラリー、街路とのつながり方、更に空地にはベンチ等を外部の人に提供しました。また、一連の建物と庭園を調和させた槙文彦へのオマージュとして考えました。槙文彦や私たちの努力もあって歩道橋もなくなり、代官山の街の価値は更に上がったと思います。代官山は1970年前後から今まで建築家・槇文彦氏によるヒルサイドテラスによって良好な環境が保たれてきました。しかし、当時と違い地価も建築費も高騰している中で、3~4倍の面積や高さを取らなければ採算性が取れない等の点は建築家として避けて通ることのできない課題でした。ヒルサイドテラスの持つ文化としてのギャラリーや敷地のレベル差に対しての解決方法をTHE CONOE 代官山では踏襲しています。昔桜の山だった敷地の歴史、その他を踏まえた環境ができるだけ継承できるように考えました。現在は坪1200万を超える価値のものになっています。また坪880万で売る、売れるというきつい要求を○○さなければなりませんでした。


















