Chiaki Arai Urban & Architecture Design

近代化は成功したのか Modernization succeeded?

モダニズムからの脱却

3・11の東日本大震災以降、私自身は、何が変わったのかと聞かれると、何も変わってないとも言えます。あの震災では、ショックを受けましたが、なるべくしてなったという思いもあり、長年考えていることをもっと丁寧に考えようと思いました。それはペンシルバニア大学大学院やLouis I. KahnのOffice、そして英国大ロンドン市(GLC)に勤めていたときにもずっと考えていました。それは、世界の、日本の近代化というのは成功したのかという課題です。近代技術というのは、百パーセント信じていいものなのか。人類は近代化で得たものよりも、多くを失ったのではないか。われわれはアレックス・カーの『犬と鬼』という本の表紙にあるように、小さな住宅に住んでいた人が、少し大きな家に住むために、山を切り刻み、山肌にはテールアベル工法などのコンクリートの網をベタベタ貼り付け、道路を拡張し、自然をこんなにも破壊しています。これらの技術も自然の前にはあっけなく壊れてしまう。また日本中どこでも同じ、身体性もその土地の特性もまったく考えられておらず、しかも不安定です。農村では大型SCの出現や全国一律の建物が作られ続け、量産型のプレハブを受け入れると歴史的な建築の形や型が一気に消滅し、風景が破壊的打撃を受けています。自分で自分を食べている

近代化は成功したのか
近代化は成功したのか

アレックス・カーの『犬と鬼』の中には日本の国土はアメリカの26分の1だが、毎年アメリカがつくっている道路の2倍を建設しているというようなことを、データを挙げて細かく書いています。犬と鬼というのは、韓非子の中の逸話で、ある皇帝が「描きにくいものは何か。」と聞いたとき、絵描きが「犬は描きにくい。鬼は描きやすい」と答えた、という韓非子の話によっています。常識とは反対のことを言ったのですが、犬はあまりにも身近にいるので、上手に本物らしく描くのが難しい、鬼は想像だからどうとでも描けるのでやさしいということです。つまり、身近な環境、あるいはシステム、公共のあり方等、よく見ていないと得体の知れない物になってしまうということです。アレックス・カーは日本で生まれ、エール大学を出て、日本に長くいますが、彼が言うのは、日本はぬるま湯につかっている。フランス料理でカエルをゆでるときに、水からゆでていくと眠りながら死んでいく。日本はカエルのように無抵抗のまま死んでいくということです。『犬と鬼』の表紙に描かれているのは、どんどん削られていつ崩れるかわからない山、そして高速道路、その下でのどかに住んでいるという情景です。皆さんも自分のところだけきれいになればいい、山はどうでもいいと考えていくと、決していい結果にはなりません。同様な事を、カレル・ヴァン・ウォル・フレンが人間を幸福にしない日本というシステムや、日本という国をあなたのものにするためにという中でも指摘しています。三浦展はファスト風土化する日本、永田和夫は資本主義の終焉と歴史の危機、少し見方が違うが飯島洋一の「らしい」建築批判にも通じているところがある。

ところで、第一次世界大戦後、その当時のヨーロッパの中心だったイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどの国が、自分たちの国々を統一させるアイデアとしてインターナショナルという言葉を使い、新しいビルディングタイプを示し、このタイプをアメリカのフィリップ・ジョンソンなどがインターナショナルスタイルと呼び、その一地域の運動が世界を席巻しました。そしていま、ヨーロッパやアメリカの社会のプログラムが行き詰まっているので、そこからは新しい社会や建築の考え方や運動が出て来づらくなっています。世界各国のエッジカントリー(はずれの国、たとえば日本、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、韓国、スペインなど)、そしてそのローカルなところから新しい社会のプログラムやデザインが生み出されるのではと考えています。われわれはいまや、近代化の名の下で過剰な技術依存、標準化、そして空間の均質化から脱却するのがよいのではないかと思います。しかし、それは非常に難しい問題です。