Chiaki Arai Urban & Architecture Design

「経済至上主義」から「環境主義」へ Economic Supremacy to Environmentalism

レムコールハースに言わせると、円、ユーロ、ドルの頭文字を足すと¥€$になります。これを経済至上主義と言いい、これに強く反発している人達は多くいます。お金があれば何でもできるという発達は間違いだという考えです。

¥€$の思想では短期的にしかものを見ないので、都市をつくるスピードが加速される。あるいは、建築の地位や本質も落ちて都市が均質化されてしまいます。例えば東京では下町を潰してどんどん再開発をしています。下町のような職住混在の複雑な機能の建物はつくりにくいので単一機能にしています。

皆さんが街づくりの中で下町を守ろうと言っても、根底的な発想を変えない限り、経済が優先されれば壊されます。世界の文化のグローバリズムは重要ですが、その地域ごとのグローカルな視点が無ければなりません。地方では庁舎の建て替えなどもステレオタイプ化され、古い街の中心から作りやすさだけだと外されている。

「経済至上主義」から「環境主義」へ

スプロールする巨大都市をコンパクトな都市に変えて生活機能を充実させるという考え方があります。ドイツでは、都市から遠く離れて海辺や山の中に住んでいる人の電気代を高くして、税金を上げることで、新規の開発をできるだけ抑え、コンパクトな都市をつくろうとしています。工業主義や産業主義などの経済至上主義は、環境主義という多彩な価値観に変わろうとしています。

街づくり、景観づくりという言葉がありますが、それではあまりにも大きすぎて何をするかわからないので、サイトスペシフィック、その場所の特色ある部分を丁寧に残そうというのが、街づくりの最先端になると思います。また人々の心の中にあるトポフィリアを見つけ出すことも重要です。日本はスクラップ&ビルドの経済活動に乗っていたのが、保存と保全も含めてそしてサスティナブルな街をつくろうという動きになっています。この運動は私が学生の1970年のころにヨーロッパで定着していましたから、日本は50年遅れくらいになると思います。経済至上主義でいくと、例えば福島県の西白河に新幹線が止まり、そこに大型ショッピングモールが出来ると、元々あった白河の街が滅んでもいいという発想に至ります。地方の街づくりで畑の真ん中にスーパーをつくると、駅前がどんどん落ちこぼれていきます。それは短期的経済だけに則っていることと同時に、駅前の土地を持っている地主がいまのところお金持ちなので土地を手放さない。このように地方の駅前はうまく開発できない仕組みがあり、これに対しては倫理観を持たなければいけません。

生活の量的な向上はある程度日本では満たされていますので、生活の質的な向上ということを考える中で評価の方法が変わってきています。まとめると、どのようにして市場原理主義から脱却し、どこにいったらよいのか。その答えはまず環境主義にあると考えます。つまり、グローバリズムからぐローカリズムへ、都市のスプロールからコンパクトシティへ。産業工業主義から環境保護主義へ、そしてユニバーサルからサイトスペシフィックへ。スクラップ・アンド・ビルドから保全、そして活性化へ。また定量的改善から定性的改善という移行です。

GDP(国内総生産)、GNP(国民総生産という評価基準がありますが、ブータンの国王が近年語っているのが国民総幸福量=GNH(Gross National Happiness)です。国王はブータンがお金持ちではなく、技術も発達していないから、近代化の概念では推し量れない「幸福」という目安がとても大事なのだと言っています。そして私はもっと細かい単位、例えば地域総幸福量=GAH(Gross Areal Happiness)で考えるのが良いと思っています。GAHをもじってグロス荒川ハピネスという本を荒川区も出版してます。

最近はWell beingという言葉も使われていますが、日本人は言葉だけを作って終わるのではなく、建物が作り出す環境、例えば、ほんの少し歩道を広げて木を植え、ベンチを置いたり、神社仏閣や昔の広場、西洋のように小さな広場と道が連続したり、人の居場所を街の中に創ることが重要です。江戸川区は40年近くせせらぎをつくり公園と連続させています。